初心忘るべからず

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「初心忘るるべからず」「初心忘るべからず」
-  初心不可忘  -  世阿弥  -
世阿弥による「初心忘るべからず」という「ことわざ」にまでなっている有名な言葉があります。 はじめて道に踏み込んだ青春の頃の初々しい心!、その純心をいつまでも 忘れないようにしなければならないよ。と解釈されるのが通常でしょう?
そのような解釈もそれなりの意味があるので,間違いとは言えません。
現代的には、初心忘るる・・ とか、 初心忘れる・・ とか記載されている事が多い
様ですが、 初心不可忘 しょしんワスルベカラズ が正しいと思います。


世阿弥の奥義・初心には
是非の初心
時々の初心
老後の初心の三つがあるということです。

是非の初心とは、【 若輩の頃の未熟さを戒めとしなさい 】ということです。

時々の初心とは,それぞれの年齢に応じた初心を見出さなければならないという事です。
30歳になったら、それは初めての30歳・・40歳なら40の・・・・
50歳になったらそれは50歳の初心
その年令「その時」を何度も経験する人はいないのです。

老後の初心とは,
肉体的な衰えと精神的な円熟を機とし、人生の大きな節目として意識し、
初心を完成させることになります。

甘く切ない純心の頃の初心にしがみつくことではなく、三十路の初心,四十路の初心と,
毎年「時々」の初心【自らの未熟を戒め】を見いだす事が大切です。

時々を初心として素直に生きる事。
茶の湯では,一期一会とあります。
一度しかない出会いを誠心誠意迎えることですが,時々の初心を実践する心得でしょう。
あれこれと関わるうざったい日々、その今日一日を充実して過ごす術であるのかもしれません。
禅の世界では「今・此処・」

世阿弥晩年の著『花鏡』の奥義が - 初心不可忘 -

「しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。
是非とも初心忘るべからず(是非によらず、修行を始めたころの初心の芸を忘るべからず )
時々の初心忘るべからず (修行の各段階ごとに、各々の時期の初心の芸を忘るべからず )
老後の初心忘るべからず (老後に及んだ後も、老境に入った時の初心の芸を忘るべからず )
この三、よくよく口伝すべし。」


世阿弥『花鏡』による実際の初心とは【段階ごとに経験する芸の未熟さ】のことの様です。
未熟な時代の経験、失敗した時やその屈辱感を忘れないように、常に自らを戒めれば、芸も 上達することができると説いています。本当の意味の初心とは決して良いものではない様ですね。

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